不登校復帰への鍵となった4つのこと

こんにちは!現在フロリダ在住、元不登校児のチェナです。こんにちは、元不登校時のチェナです!私は、高校生1年生の頃、不登校になってしまい、11月頃まで学校に行っていませんでした。実際に学校を辞める一歩手前でしたが、そこから復帰して早稲田大学に現役合格!現在ご自身や大切な方が不登校に悩む方の少しでもお役に立てればと、私の体験談を共有させていただいています。今までの投稿は全てこちらからご覧いただけます!

目次

どうして不登校から復帰できたのか

前回の記事ではどのようにして不登校に陥ったかについてお話をさせていただきました。不登校の真っ只中にいた時は、「もうダメだ。」「人生終わりだ。」とまで思っていました。そんな生活の中でも、後に不登校から脱出するきっかけとなる希望の光があったのです。前回は影の部分についてお話をしたので、今回は光の部分に焦点をあてていきます。私が不登校を乗り越えるきっかけになったことは、主に4つあります。

不登校復帰への鍵1. 担任の先生

不登校を乗り越えるきっかけとなった1つ目は、担任の先生です。

私の担任の先生は40代くらいの体育の先生でした。先生は、私の通っていた高校出身で、私の高校の教師としては一年目の先生でした。母校で教えたいという強い気持ちのもと家族を説得して引っ越してきた、という情熱を持った先生だったので、私の不登校の状況を何とかしようと必死になって動いてくれました。私の親とも何度も電話や面談をしてくれたし、保健室登校の時も何度も何度も話しにきてくれました。私の親は、その先生じゃなかったら学校辞めていたのではないか、と言っており、私自身もそう思います。

登校復帰への鍵2. 部活の友人

不登校を乗り越えるきっかけとなった2つ目は、部活の友人です。前回の記事で、第一志望だった高校でとある珍しい音楽系の部活に入りたかった、という話をしましたが、入学した私立高校にはその部活はありませんでした。しかし私は音楽が好きだったので、当時入りたかった部活は諦めて他の音楽系の部活に入りました。私は5歳の頃からピアノをやっており、音楽は得意だったので、先生や部活の仲間から一目置いてもらっていました。クラスでは出来なかった友達が部活では出来たし、部活動の時間では自分らしく過ごすことができました。保健室登校だった時も担任の先生や教頭先生が許可してくれて、部活だけは行かしてもらえました。夏休みが終わった後は部活すら行かなくなってしまったのですが、不登校の時ですら居場所があったことは大きかったです。

登校復帰への鍵3. 英語の先生

意外かと思われるかもしれないのですが、不登校を乗り越えるきっかけとなった3つ目は英語の先生でした。高校1年生の不登校時に出会えた英語の先生は、今でもたまにメールをさせていただく恩師です。前回の記事でも書いたように、私は英語だけは元から得意だったので、クラス分けテストでも英語だけは上のクラスでした。その時に担当だった先生が、アメリカの大学を出て英語はペラペラ。日本の学校で、受験だけではなくて実際に使える英語を教えたい!と熱意をもって指導してくださる先生でした。あまりにも熱意があるので合わない生徒には合わないようでしたが、私はその先生が大好きで、その先生に認められたい!と思い、先生の言うとおりに英語の勉強をしていました。さすがに、英語の授業だけのために学校にいこう、とはならず保健室登校になって授業もいけなくなってしまったのですが、そんな時に、その先生がわざわざ保健室まで来て、私のために休んでいた分の授業をしてくれました。また、保健室登校の時は、授業の教材すら持ってきていなかったのですが、それに対して先生は「せめて単語帳だけでも持ってこないとダメじゃない!」と叱ってくれました。不登校の時は、周りがすごく気を遣って、腫れ物扱いされることもあったので、英語の先生がそうやって普通に叱ってくれたことが逆に嬉しかったのを覚えています。その先生の存在は、私にとって大きな救いでした。

登校復帰への鍵4. 両親

不登校を乗り越えるきっかけとなった4つ目で、何よりも大きかったのは、両親の存在です。私が不登校になってものすごく辛い思いをさせてしまったし、やつ当たりをすることすらあったのですが、それでも毎日諦めずに朝は話しに来てくれたり、学校に行かない日ですらお弁当を作ってくれたり、学校に行くためのバスを乗らなかった時も車で送ってくれたり…感謝してもしきれません。保健室登校すらしなくなってしまった時には、他の学校の資料を探してきてくれたり、私の為に出来ることを全てやってくれました。そんな両親を傷つけてしまったことがその時は逆に辛かったし、正直もう諦めてほしいとすら思っていました。でも今考えると、自分ですら諦めていたところを見捨てないで、私が何とか学校に行けるように支えてくれたからこそ、不登校から抜け出すことができたのだと思っています。

まとめ

以上の4つが、私の不登校の生活の中での光の部分で、不登校から抜け出すきっかけとなりました。結局のところ、周りの人の支えなんですよね。本当に私はラッキーだったと思っています。

そんなに素敵な人たちに恵まれていたのに関わらず、私は持っていないものにばかり気を取られて、自分で自分を追い込んでいきました。結果、1学期の後半はほぼ完全に保健室登校、2学期には保健室すら行かなくなってしまい、完全に不登校になっていきました。そんな状況なので部活だけ参加というわけにもいかず、唯一の居場所もなくなっていき、そろそろ本格的に学校を辞める選択肢を考え始めていました。そんな状況からどうやって抜け出したのか、それについて次回はお話させていただきます!前回までの記事をまだ読んでいない、という方は、1番下の「関連記事」からご覧ください!(「この記事を書いた人」の下にあります。)

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