不登校体験談|私が不登校になるまで

こんにちは、元不登校時のチェナです!私は、高校生1年生の頃、不登校になってしまい、11月頃まで学校に行っていませんでした。実際に学校を辞める一歩手前でしたが、そこから復帰して早稲田大学に現役合格!現在ご自身や大切な方が不登校に悩む方の少しでもお役に立てればと、私の体験談を共有させていただいています。不登校関連の投稿は全てこちらからご覧いただけます!

目次

突然不登校に?私が不登校になるまでの体験談

家族や生徒さんが突然不登校になってしまったと悩んでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、実際に不登校になった側からすると、大半の人は突然不登校になるわけではないと思うのです。色々な要素が絡み合って、限界に達した時に不登校になってしまう。少なくとも私はそうでした。その要素の1つに私自身の思考の癖があった、ということを前回お話しさせていただいたのですが、この記事では不登校に陥った経緯について、体験談として具体的に書いていきたいと思います。私が不登校になった原因は、一言で「理想と現実の乖離」です。突然始まったように見えた不登校が実際はいつから、どのように始まっていったのか?理想と現実の乖離の段階を詳細にお話しさせていただきます。

不登校になるまでの体験談|中学生時代

まず、前回も少し書きましたが、私は田舎の中学校出身でした。幼稚園から一緒の人が6割、小学校から一緒の人が9.5割くらいで、ほぼみんなが幼なじみ。お出かけするのも親に車でイオンに連れてってもらうと大はしゃぎ!笑 という環境。だからこそ、高校生になって新しい環境で、新しい人と出会って、青春する!と、高校生としての新しい生活に強い憧れを抱いていました。

勉強に関しては、英語だけはできました。というのも、私の1番仲良い友達のお母さんが元キャビンアテンダントで、家で英語教室を開いていたんです。その子の家にしょっちゅう遊びに行っていた私は自然と流れでその英語教室にも通うことに。そのおかげで英語だけは出来たのですが、そのほかの教科はダメダメ。英語の点数は良かったのに定期テストの順番も下から数えた方が早いくらいでした。

不登校になるまでの体験談|理想の構築と崩れ

そんな勉強嫌いの私でしたが、中学2年生の頃に行きたい高校が出来たことをきっかけに真面目に勉強を始めました。その高校には私の中学校にはなかった音楽系の部活があって、それをどうしてもやりたかったんです。ここで楽しい高校生活への理想、というものが私の中で構築されることに。学力が圧倒的に足りなかった私はそこから必死に勉強をして、中学3年生の夏頃には学校の通知表もよく、その高校もA判定という状態でした。

そんな時、2学期の三者面談の時に、先生から、私の成績であれば滑り止めにしていた私立の高校に特待生としていける、と言われたんです。特待生であれば、学費もかからず、入学試験も受けなくていい、という条件でした。それを言われたところで私自身は、正直その高校には興味はゼロ。ところが、その話を聞いて親が大喜び!笑

私は、両親と進路について再度話し合うことに。私が行きたいと思っていた高校は、正直すごく頭の良いところではなかったし、生徒も基本的に制服を着崩しているようなところで、大学の進学率もそこまでよくありませんでした。それに比べて、私立高校は所謂進学校で、自分の努力次第ではいい大学に行ける環境。高校で出来ることなんか所詮限られているので大学で好きなことをやる方がよっぽと自分の可能性が広がる、と両親に言われたことを覚えています。高校がゴール、くらいに思っていた私自身の考えが段々と変わってきました。また、志望校に合格するために勉強を頑張り続けていましたが、当然疲れも出てきていて、特待生なら入試なしでいける、というところに正直に凄く惹かれていたのも事実。そして、最終的に、高校での一時の楽しみよりもその先を見据えて、その私立高校に特待生としていくことに決めました。特待生としていくためには、他の高校の入試を受けないことが条件だったので、自動的に元々志望していた高校は選択肢から外れることに。というわけで、私はその私立高校に通うことになりました。

不登校になるまでの体験談|理想と現実の乖離

ただ、私もリサーチ不足だったんです。その私立高校が進学校だと言うことは知っていたのですが、校則が物凄く厳しいことで有名だったんです。具体的にはこんな校則がありました。

  1. 寄り道禁止
  2. スカートは膝丈
  3. 髪染めやメイク禁止
  4. 常にリボン、ネクタイ着用
  5. 恋愛禁止(本当です。)

私が憧れていた高校生活とは程遠いような高校だった、ということは入学してすぐに悟りました。それでも、将来のためを思ってこの決断をしたんだ、と自分を鼓舞して勉強に力をいれることに。ただ、高校の勉強と中学校の勉強って全然難しさが違うんですよね。中学校の時は勉強が出来た人が高校になって出来なくなるなんてよくある話。さらに、この高校では学力別にホームルームとは別に授業のクラスを分けられるんです。一年生の最初のクラスは入学前のクラス分けテストで決まるのですが、入学試験免除で入った私は当然いい成績を取れたわけがなく、下の方のクラスに。教室に入るたびに、特待生なのに下のクラスなんて。と自分が嫌になり、周りからも下のクラスに入るのを見られるのが嫌でたまりませんでした。誰がどのクラスかなんて気にしない人が多いのですが、私はどうしても人の目が気になってしょうがありませんでした。

不登校になるまでの体験談|不登校へ

そういうわけで、段々と学校に行くのが憂鬱に。最初は、体調が悪い、と親に言って1日、2日休んでいたのですが、そうやって休む日が増えてくると、最初に仲良くしていた友達も段々他の友達と仲良くなって、私は友達と関わることも減っていきました。そうすると、勉強もできないし、クラスに友達もいない、と嫌な要素が増えていくことに。

それに気づいた子がいて、部活の子と一緒に食べているところに私を誘ってくれたのですが、可哀想な子だと思われるのも耐えられなかったんですよね。わたしも他のクラスの子と食べるから、と言って結局1人で食べ続けました。そうなると本当に学校に通うことが嫌になっていき、勉強どころじゃなくなると当然成績はどんどん下がっていきます。1学期の定期テストは当然ボロボロ、ついに1番下のクラスになってしまった時には、「特待生で入ったのに、1番下のクラスなんて私はもうダメだ。」と思うように。この頃に、親に「学校にいきたくない」と正直に話しました。そうして学校に行かないようになり、頑張って行った時でも保健室登校という、所謂、不登校状態になりました。

まとめ

以上が私が不登校に陥るまでの経緯を体験談として共有させていただきました。ここまで読み終えて、共感できる部分があった方もいれば、「そんなことで?」と思った方もいらっしゃると思います。でも、不登校のきっかけや、自分で自分を追い詰めるきっかけは些細なものだったり、側から見ればくだらないことだったりするんですよね。だからこそ、解決するのが難しいんです。くだらないと自分でわかっているからこそ、理由を話したくなかったりもします。そして、突然不登校になったように見えても、実はサインを出している場合も多いのではないかと思います。ただ、最初は本人も悟られないようにするので、中々それに気付くのも難しいです。

こうして不登校に陥ってしまった私ですが、最終的には不登校を乗り越えることが出来ました。ブログ名にもさせていただいていますが、最終的には独学で早稲田大学へ現役合格!どうやって私が不登校から復帰していったのか。次回は不登校から復活するきっかけとなったことについて書いていき、その後でどのように不登校から抜け出したのか詳細を綴っていきます!不登校体験談の全記事は、1番下の「関連記事」からご覧いただけます!(「この記事を書いた人」の下にあります。)

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